INDIA 22-1. Feb. 2004

朝9時過ぎ、乾いた道をジーブで30分程ぶっ飛ばす。砂漠のド真ん中でわし等を待っていたのは、2頭の駱駝と一人のおっさん。ここから、駱駝使いと二人きりの3日間の旅が始まる。男の名はミレ・カーン。砂漠の民のいで立ちそのもので、いやが上にも気分は盛り上がる。これからよろしくと、まずはがっちり男同士の固い握手。無骨で頼りがいのある手。これこそ男の証だぜ!

早速、途中で購入した野菜や果物、肉などと一緒に毛布や鍋、食器、駱駝の食べる干し草、その他諸々をパッキングし、2頭の駱駝それぞれに器用にくくり付ける。勿論、飲料水やビール、ジュースもバッチリ入れてある。

仕上げに、始まりの儀式のようにおれの頭に赤いターバンが巻かれ、駱駝に股がった。これから起こる事は、自分に初めて起こる事ばかりだろう。駱駝に乗るのも、地平線を見るのも、砂漠で寝るのも。そんな覚悟めいた気分で駱駝の背中に挑む。へっぴり腰の大股開きでなんとか乗っかると、生き物の柔らかさと温もりが股間に優しい刺激を与えてくれる。が、次の瞬間、予想外の大きな前後の揺れを伴って一気に立ち上がった。うおぉ〜!こいつはでかいし、背も高い。想像はしていたが、実感はそれを上回っている。そして早速、これは辛い事になったなと確信した。ところ狭しと括り付けられた荷物のせいで、足は下へ投げ出されたまま自由が利かないし、足を引っ掛ける場所もない。この固まったままの姿勢で何時間辛抱する事になるのだろうか・・・。憂鬱だ。

ロープを左右に操り、駱駝の操り方を教わるが、簡単すぎて拍子抜けだ。だって、右に行くには右手のロープを左に行くには左手のロープを引っ張るだけなのだ。ゼスチャーでのレクチャーはおしまいのようだ。

「あのぉ、もしよろしければ止まり方も教えて頂けないでしょうかぁ〜。」

肝心な事忘れてないかお前! ミレの方に視線を送った。気が付かないのか、知らん振りなのか「ギギギギッ!」と、不思議な音を口から発しながらそのまま2頭の駱駝とミレは歩き始めた。

高い視点から地平を望む。気が遠くなるような無に満ちた世界の果てに目をやるが、目標になるようなモノは特に発見出来ない。目に見える何かを目指すのではなく、何処かを目指す。方角だけを頼りにそんな旅が始まったのだ。

空は高く、太陽が乾いた影を地面に投げかける。目に入る全てが乾きに満ちたこの世界に、気分だけでも少し湿り気を与えようと、吉幾三の「酒よ」などを口ずさんでみるが、何かが湿り気を帯びてくる気配は一向に無い。それどころか、実も蓋もなく酒の最後の一滴が地面に染み込んで行くようだ。

既に痛い内股をこらえながら、この先の旅を思い途方に暮れる。まだ始まったばかりだと言うのに・・・。こんな修行みたいな3日間に何か意味があるのだろうか? そんな根本的な問いが浮かんでは消える。

それから、頭の中ではヴァン・ヘイレンの「ボトムズ・アップ」やUFOの「燃えたぎるギター」のギターソロやらが勝手に鳴り響く。そこへ突然割って入るミレの擦れた歌声。砂漠の退屈から既に逃げ腰のわしを「そうはさせるか!」と、言わんばかりだ。だが、ミレの口をついて自然に出て来る歌はなかなかに味わい深く、頭の中で勝手に鳴る俗世間の猥雑な音楽より崇高に思えた。そんな事を考えながらも、目の前に広がるただ広いとしか言いようのない景色を持て余していた。「四の五の言わずに楽しめよ!丸ごと受け止めろよ!」そんな声が聞こえてきそうである。「丸ごと?」こんなだだっ広さのド真ん中で、これ全部丸ごとは、わしの中には収まりきらんのだよ。擦れた歌に混ざって「ギギギギッ!ギギギッ!」と、ミレが駱駝に話し掛ける。そのどちらの声も、スッと景色に吸い取られて行くのだ。

砂漠は平坦ではなく、微妙な起伏がある。一応目標と定めたその起伏の果てを過ぎると、また新たな地の果てが現れる。勘弁してくれ。地の果てを満喫しながらも、気分は昼飯へ。何か早く食べたいと言う事では無い。一刻も早くこいつから降りたい。足の痛みや痺れも相当なもんだよ。駱駝から降りて好き勝手に足を動かしたい。ただそれを祈り、飯を食うのに都合の良さそうな岩場や木陰などを勝手に探すのだ。

12時過ぎ、やっと昼飯だ。正味2時間足らずだが、正直ギブ・アップ寸前だ。地面でガニ股のまま固まったわしには御構い無く、ミレは無言で働く。駱駝の背中の全ての荷を降ろし、やつらの足に適当な長さの縄を掛ける。歩幅を稼げないようにして、わずかな自由を与えてやるのだ。そしてミレは何故か木陰ではなく、日向で飯の用意に取りかかった。

まずは薪拾い。う〜ん、素敵だ。何もかもが一から始める生活じゃないか。素敵だと言いながらも、駱駝の背から解放された足を地面に投げ出して、まずは見物のダメ人間なのだが・・・。

薪を手に戻ってきたミレが、途中の水たまりで汲んだ濁った水でチャイを作る。粉ミルクを溶かしショウガや各種スパイスを投入。本場ならではの格別なチャイが手際よく出来上がる。砂入り濁り水仕立てだよ。全てが人間のペースで事が進んでゆく。ここでは便利かつアイデアに満ちたアウトドアグッズなど一つもない。浮かれて買ったアウトドア便利グッズを試して悦に入るような、レジャーとしてのアウトドアではない、サバイバルと呼ぶような大袈裟な物でもない。ただの日常なのだ。わしは適当な金を払って、ここにいるだけの観光旅行者。ミレの一連の働きを見て唸るしかない。相当年期の入ったアルミのカップで出来立てのチャイをグビリとやった。わしとは正反対に生きて来た男の入れたチャイだ。

いよいよカレーに取りかかる。なぜか約束のチキンはマトンに変わっていて、早くも契約違反のこのツアーに不安がよぎらないではないが、嬉しそうに「マトン、マトン!」とはしゃぐミレに会わせ『マトン、マトン!』と一応嬉しそうにはしゃいでみる。まる3日、二人きりなのだ。仲良くしたいと素直に思う。

ニンニクを剥くよう頼まれ、その作業に没頭する。風は結構強く吹いていて、細かい砂が地を這うように飛んで来る。アルミの皿には剥き終わったニンニクと、入り放題の砂が盛られていく。太陽は高く、気温も相当なものだが、お陰で汗ばむような事はない。

ネギが白い断面を眩しく踊らせ、熱くなった鍋に投入される。

「シャーッ!」と美味そうな音と薫りが広がり、そこにマトンやスパイスが後を追う。一方ニンニクは別のスパイスと混ぜ、何か調味料の入ったビンの底ですり潰される。そして、こいつも鍋に投入。手が込んでいて丁寧な仕事。

カレーらしい芳ばしさを放ちながら、寡黙な男の時間。実は英語が不自由なだけなのだが・・・。

それでも会話が無い訳じゃない。ミレが口を開く。

「おいらは貧乏だ。だから旅が終わるときに金を少しくれ。」

「・・・・。」取り敢えず無視。

「今何時だ?」

腕の時計に目をやると、「ちょっとはめてみていいか?」

何だお前、時間なんかどうでも良かったのか? 寛大な心で、はずした時計を渡すと、嬉しそうに自分の腕にはめ誇らし気に眺めるミレ。

口を開く早々、こんな話題なのが悲しいが、この男に笑顔を与えられるとしたら、やはりこんな話しか無いのだろう。つまらん男だね、わし。

流れ上この時計はやつの物になってしまうのだろうか?心配しかけたが、すぐにどうでもいいやと、直射日光を浴びてグツグツ煮える鍋に視線をやった。

鍋にはさっきニンニクを入れていた皿で蓋がしてあり、そこに例の濁った水が張ってある。煮立ってくるとひっくり返し鍋に足して行く。そしてまた水を張って煮立つのを待つ。直接水を入れて煮込むのと何か違うのだろうか?これまた丁寧な仕事だが、最初から入れて蓋をした方が砂の侵入も防げると思うのだが。

カレーの鍋を脇にやり、火の上に鉄板を乗せる。一応丸いが、フライパンとも呼べない代物だ。それからモゾモゾと荷物の奥から取り出した粉を見て少し気が遠くなる。次はチャパティだ。お盆のような大き目のアルミの皿に粉を出し、濁り水を入れ、混ぜる。適当に捏ねたあとでペタペタと掌で薄く広げ、ペトンと鉄板の上に乗せた。相当に熱くなった鉄板の上で、ただの小麦粉の円盤が芳ばしいチャパティに変身していく。焼きながら、何枚も捏ね続ける。

荷を解いてからすでに1時間半。いい加減腹が減ってきた。もうすぐだ。もしも、あと一品作り始めたら、こいつを殺そう!

暫くすると、飽きて木陰で転がるわしにお呼びがかかった。皿に盛られたカレーとチャパティが、文句無しの出来具合でわしを迎えてくれる。手を合わせ、早速頂戴する。スパイスの効いたいい香りに、タマネギやニンニクが旨味や奥深さを添える。マトンの臭みも心配無用だ。いや、無用どころか、マトンならではの美味さを素直に楽しませてくれる。チャパティも濁り水で捏ねただけのくせに芳ばしさ満点だ。シチュエーションと空腹が評価を甘くしていたとしても、そんなの問題じゃ無い。生きる為に頬張る。愉しみやスタイルとしての食事なんて言う甘い世界じゃないのだ。なんて、シリアスに考えを巡らせるこの状況が、また旨味に拍車を掛けるんだけどね。この土地の人間にしてみれば金でアレンジした必然性の無い娯楽の旅。だから、「生きる為に頬張る」なんて欺瞞に満ちた幼稚な思い込みなんだけどね。

わしを観察しているのか、わしをじっと見たまま食べようとしない。

「食べないの?」そう尋ねると、

「お前はゲストだから、オレは後で食べるよ。」と言う。

一緒に食べる方が落ち着くんだけどね。それがここの流儀なら従おうじゃないか。ちょいと見ておいておくれ。

焼き続けるチャパティの攻撃に参りながらも、なんとか完食。ごちそうさまでした。う〜ん、駱駝に乗ってさえいなきゃ、この駱駝旅は最高だ。そんな矛盾に満ちた感想と共にしばし食後の昼寝。苦痛と退屈、空腹から逃れられれば、風の音、山羊の鳴き声や鈴の音、樹の枝や葉のざわめき、そんなものが優しく聞こえて来る。そして砂漠は気分のいい場所になった。