INDIA 19. Feb. 2004
さて、どうしたものか?本日は全くもって平和で、ココロに波風の立たない、良い一日だった。本当に子供の日記のような内容になってしまいそうだ。突然そんなアホなガキ風の日記になってしまって良いのだろうか?ただ一日を ただ見た事を ただ起きた事を ただ食べた物を書き連ねるだけで良いのだろうか?今までのがんばりが、ウソのような内容で良いのだろうか?と、そんな不安を素直に吐き出したところで、さあ始めよう、夜が開けるとこから。 6:00。目が覚めるが、外はまだ暗い。日の出の城を撮りたいと思いつつも、まだ大丈夫と、再び眠る。 7:30。再び目覚める。きっと日の出は逃してしまったと思いつつも、屋上へ駆け上がるが、太陽はタイミングよく顔を出し始めたところだ。昨夜の騒ぎが嘘のように静かな朝。まだ、柔らかい光に包まれた、城と家並み。30分程眺めて部屋へ。そして三度寝へ。これは幸せだ。 12:00。本当の起床。洗濯。天気が良く、すぐに乾きそうだ。これも幸せだ。 13:00。昼食。バンデラスに教えてもらい、向かいのゲストハウスの屋上へ。昨日のホモ宿ではないよ。この辺りでは一番高い場所にあるレストランだ。が、本当は、ただの屋上。暇そうなオーナーが、カレーセットとコーラを運んで来てくれた。もちろん客はわし一人。しかしこの屋上、レストランと呼ぶには余りにもそれらしくない、ただの屋上なのだ。人の家で飯を食う気分。この適当加減がまたたまらないんだけどね。 乾いた空気にコーラが最高の仕事をしてくれるよ。おれの咽にね。カレーは、野菜カレー。味はまずまずだ。焼きたてのチャパティが香ばしい。基本的に海外の食事では散々苦しんだオレだが、毎年何処かへ行ってるお陰で大分慣れて来たね。タヒチじゃ米が食べたくて、毎晩泣いてたし、ベトナムではコリアンダーに敗れ、最初に行ったインドでは一晩中トイレで過ごした。手で食べたりして結構がんばってたのにさ。モルジブでは、そうめんに恋い焦がれ、アメリカの退屈な地方都市ロチェスターでは、舌の腐った愚鈍なアメリカ人を呪った。上海では、儚くも中華幻想を思い知った。日本の中華に勝る物は無いね。それになんだ、あの砂糖入りのペットボトルの茶は。ほぼ日本と呼んでもいいサイパンでさえも、冴えないみそ汁に具合を悪くした。マダガスカルでは、もう何もかもが受け付けなかった。無理を言って炊いてもらったご飯にかけた命綱「ふりかけ」ですら、臭いメシにその命を絶たれてしまった。その国を理解し楽しむために、その土地のモノを食べる気は満々なのに。なのになのに、その国の料理が口に合わず、すぐに諦め、日本食になるべく近い物を探し始めるのだ。しかしたちの悪い事に、例えそれにありつけたとしても、本物と違う微妙な差異が我慢出来ず、悶絶の日々を過ごす事になるのだ。何処へ行っても、コンビニのおにぎりがどれほど偉大かを想い知る事になるのだ。まぁ、根っからの繊細な日本人なんだろうね。それを思えば、日も浅いせいもあるが、余裕でこのカレーセットを楽しめるのは成長の証ではあるまいか? 顔を上げ、城に目をやる。何処からとも無く聞こえる音楽に合わせて、岩の稜線で踊り狂う人影が。やっぱりインドはどこか可笑みがあって、いいなと思う。天気もいいし、メシも美味い。予定も無いし、幸せだよ今日は。 プチッ、プチッ、プチッ。そしてまた、プチッ。念を押すようにシャッターを切った。どの旅でも、これだけは絶対に残しておきたい!と祈るような気持ちでシャッターを切る瞬間がある。まぁそのほとんどは可愛い女の子なのだが…。そしてたった今、この旅でのそんな瞬間が終わってしまった。相手が飽きないよう口八丁手八丁、持てる能力の全てを出し切り、互いのテンションを極限まで高める。あっと言う間の不思議な時間だ。 今回そんな気分にさせてくれたのは、穴蔵のような雑貨屋の女の子。名前はプジャ。本当に品の良い、素敵な子だ。純粋無垢を絵に描いたような女の子。人は自分の持っていない物に憧れるものだ。が、わしが純粋無垢な女の子を好きな気持ちもまた純粋には違いないのだが。プラプラと路地を散歩中に見つけてしまったのだ。お菓子の袋みたいに連なってぶら下がるシャンプーで塞がれた雑貨屋の入り口に座り込んで、店の番をしていたのだ。クリンッとした目と静かな微笑みが、恐ろしい程に愛くるしい。そして、なんて品がいいんだろう。同じような顔の弟も加わり、何枚か撮らせてもらった。近所のおっちゃんが出てきて、住所を紙に書いてくれた。何度も「絶対に送ってくれよな!」と、人の良い顔で言うのだ。日本から遠く離れたインドで、しかも隅っこの路地裏にこんな子が住んでるなんて、なんてなんて地球は素敵な星なんでしょう!胸が熱くなるよ。 時計台の広場では生活用品を各種満載した露店が立ち並んでいる。シャツの店、パンツの店、ブラジャーの店。本当に屋根からぶらぶらとぶら下げてるのが可笑しい。壊れたガラクタにしか見えない電気製品の店、カバンの店にベルト店。行き交う人でごった返している。そんな中、誰も寄り付いていない空白のエリアが目に入った。赤い布にありがたそうに並べられている白い物体は、なんと入れ歯。恐る恐る近づくと、入れ歯の横にはドリルやらラジオペンチやらが並んでいる。インドの医療事情はさて置き、目の前に立ちはだかるこのバカバカしさは何だ?この入れ歯達は中古か?他の誰かのだろ!ひょっとして死んだヤツのか?ドリルにラジペン?口に入れるんだよな?この、一粒だけころがってるコーンは、噛み合わせチェック用か?興味や憶測の尽きない素敵な物件だ。クチビルの部分を避けるように錆び付いた看板が、またいい味だ。 刺激的な物件のせいで疲れた。フィルムチェンジを兼ねて、隣の鍵屋のテントへ。挨拶をしながら、おちゃんの横へ腰を下ろす。拒む訳でもなく、気の良さそうなおっちゃんとニコニコしながらのフィルムチェンジだ。仕事を済ませ、テントから外を眺めると、広場が自分の庭のような感覚になるのが面白い。 婆さんがやって来た。鍵の修理だ。おやじはサビサビの問題の品を受け取ると、いかにも善人かつ勤勉です僕っ!て風体でシコシコとヤスリをかけ始めた。それから、アチコチをトンカチやること数分。あっけなく修理完了だ。チマチマ直してとことん使い倒す。わしらが贅沢な選択肢として近年憧れて止まない「無駄に消費しない慎ましい生活」が持たざる人によって実践されているようだ。選択肢があった上で、敢えて慎ましく暮らすのと、全く選択肢の無いのとでは、全く意味が違うのだ。地球を散々吸い取って来た連中が、豊かに生きる為の一つのチョイスとしてのリサイクルやらスローなんとかなんて、慎ましく生きるしかない連中からして見れば、大いに白ける以外の何者でもないだろうね。まぁ、インドに来て地べたに座り込んで見れば、色々目に入って来るし、色々考えもする。しかし、それでさえ日本に帰れば、ただの良い思い出になるしか無いのだ。おれの暮らしを内面から豊かにしてくれる思い出にね。 それって何だ?錯覚か?思い込みか?勘違いか? 昨夜迷った道をズンズン進んで行く。リキシャを撮り、ウシを撮り、ガキを撮る。日本で撮れたらいいなぁと思ってたような景色や被写体が次々に現れ、パチパチとシャッターを切る。何だか、インドや人間というものの真実を切り取ったような錯覚が、体中を駆け巡る。そんなものフィルムに定着なんか出来るはず無いのに。だが間違いなく、楽しく歩いたおれ様のこの気分は、あからさまに写っているはずだ。 それって何だ?錯覚か?思い込みか?勘違いか? 道の果ての行き止まりの家で、上原多香子に似た女の子に出会った。やはりこの街は、誰か似の人間で溢れている。ドッペルゲンガーに出くわすのはゴメンだが、無邪気に誰かのそっくりさんに出会うのは楽しい。いや、いっそドッペルゲンガーに会って話でも出来たらいいかな?そんな人生の終わり方も味なものかも知れない。 昼メシ同様、向かいのゲストハウスの屋上で夕飯。黄昏時にライトアップされた城を眺めながら、コーラとカレーを楽しむ。ただただ、凄い景色。そして、相変わらずのカレーの味。 夕飯後の暇な時間。昨日のネット屋でサイトの書き込みチェック。もちろん、今日の報告も。しかしこんなところまでやって来てパソコンとは、我ながら情けない。自分が弱くなって行くようで、早々に退散。 夜。部屋でのくつろぎの時間。突如太鼓の音が聞こえて来た。ベランダへ出ると、いつか見たような蛍光灯を手にした不思議な楽団が、ドカドカと現れた。誰かの結婚式のお祝いだろうか? 深夜。ウシの唸り声と、うるさい犬の声が。今夜は色んな音がおれをベランダへ誘い出してくれる。下を見下ろすと、牛一頭対犬6匹の闘いが。こんな組み合わせもあるのかと、しばらく見物。低い声で呻きながら後ずさりの牛が情けない。牛は曙ほど弱くはなさそうだが、勝負は犬が優勢のようだ。 夜、街は犬のものだ!
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