INDIA 17. Feb. 2004

 

昨夜は、犬の遠吠えや列車の汽笛の音などのせいで、なかなか眠りに着けなかった。随分と遠くへ来てしまったもんだと、ヨロヨロと歪んだ弧を描きながら回る天井のファンを眺め、長い夜を持て余していたのだ。だが、そんな夜もいつの間にか何処かへ行ってしまっていて、ドアをノックする音でビクッと目が醒めた。またあの無気味ボーイだろうと、枕の横で無造作にころがっている腕時計の短針が8の辺りを指しているのをチラッと確認し、内鍵を外しドアを少し開ける。案の定、その数センチの隙間からやたらに生真面目そうな無気味ボーイが直立不動でつっ立っているのが見える。こんな地蔵がいたらちょっと恐いなと、どうでもいい事を考えながら、サムズアップ&水を頼んだ。昨夜、ミネラルウォーターが切れてしまい、恐る恐るポットの水を飲んだが、どうやらオレの腹は大丈夫のようだ。そう言えば、警戒しまくって食べた昨夜の晩飯もなんともないようだ。何かに取り憑かれたように猜疑心と恐怖の虜になっていたのが、一夜明けてみればアホらしくもある。それでもやはり飯はいらないと、無気味ボーイを追い返す。朝飯は何処か外で済まそう。そして列車を予約するか、他の宿に移るかして、リラックスしよう!

暫くして再びノックの音。注文の品が来たなとドアを明けると、違う男が立っている。宿帳の不備を埋めてくれと、でかい宿帳を広げの俺のところの空欄を指差した。パスポートをめくりヴィザのページを探す。ヴィザ関連の空白を埋め終わり作業完だ。せっかくだと思いレシートの件を切り出してみる。そもそも昨日宿代を払ったのに、レシートは後で!なんて微妙な事を言い出すから、なんだお前等!みたいになったんだよな。そしたら俺を連れて来てくれた優しく親切なお兄さんも正体はおぞましい人喰い鬼に見えてくるし、部屋に置かれたポットの水や、わざわざメシのオーダー取りにくるシステムもなんだか怪しい。おまけに客もあまりいないし、妙に静かなのも無気味だ。そしてあの無気味ボーイの真面目さが危険だ。全てがうさん臭いインチキホテルに感じられて、荷物や貴重品をスラれないよう部屋から一歩も出ずに、臆病な羊旅行者になったんだよな。「さぁ、レシートくれよ!」男は何度か聞き返したが、宿代のレシートの事だと判ると、表情を明るくさせて「オォ〜、ノープロブレム!」などと宣い、すんなりとフロントへ戻って行くのだった。

まったくもって、「ハァ??」だ。すんなりと男が持って来たレシートを手にし、なんの問題も無いいい宿じゃないかと思う。なんでこんな簡単な事を昨夜やってくれなかったんだ?そうすりゃ何の問題も無かったのに。何か謎の憑き物が身体の中からスッと抜けて行くようだ。思い起こせば、隣の部屋にも客はいたし、そいつは適当に騒がしかったし、他にも何部屋かは埋まってたし。無気味ボーイも無気味なだけで何の害も無い。第一、あの昨日の晩飯はなかなか旨かったじゃないか。毒も睡眠薬も入って無かったし。ポットの水もお陰様でのどの乾きから救ってくれた。きっと真面目でいいやつなんだよ。顔つきが独特だったからネパールとかから来たのかな。味わい深い人生というものが若いあいつにもきっとあって、田舎の家族に仕送りしてるんだろうな。なんか「しみじみ」と「ほのぼの」が同時に去来しちゃうな。一人旅の警戒心ってなんて難しいさじ加減を要求してくるんだろう。旅のココロはとたんに嵐のち快晴と急展開を迎えつつも、イスに荷物を縛り付け、唯一部屋の突起物であるトイレの排水管へそいつをチェーンでロックするオレであった。旅のココロとタイドは複雑に絡み合って表現されるのである。

歩いて3分。ジャイプルの駅に到着。目指す予約窓口はすぐに見つかった。何人も並んでる混んだ幾つかの窓口のはしに、2〜3人しか並んでいない外人用窓口がある。でかい時刻表がドォ〜ンとあるが、見方が判らないので取り敢えず列に加わる。親切な前の外人が予約フォームらしき紙をくれた。行き先と名前くらいしか空欄を埋められないが、構わず自分の番を待つのだ。親切な仕切りの向こうのおっちゃんが丁寧に教えてくれるに違い無いのだ。

「時刻表を見て、ちゃんと埋めてから来い!」混んでないとはいえそれなりの時間を待ったのに、無愛想に無慈悲に期待を裏切る仕切りの向こうのおっちゃん。「言えば何とかなる!」これが信条の俺の旅もこの窓口では通用しないようだ。諦めてでかい時刻表の前へ。こいつとあまり向き合う気がしないのは、模様にしか見えないヒンドゥ語の表記のせいだ。しかしその下にはちゃんと英語表記もある。これがまたゴチャゴチャ感を微妙に醸し見る気を萎えさせる。しかしこれをクリアしなきゃ先へは進まないのだ。ヒンドゥ語を視界から抹殺し、英語と数字のみを目で追う。するとジョドプール、02:15という便を発見する事が出来た。これなら、今日一日遊べて、あの宿にもう一泊する事もなく移動が出来る。到着も翌朝09:00だ。明るいうちに新しい街に到着すると言うのは、精神衛生上文句無く素晴らしい事だ。見知らぬ土地で独り闇夜を彷徨う事程心細いものは無いのだ。とにかくこいつで空欄を埋め正々堂々と窓口へ再び並ぼうじゃないか。

1人旅初の列車での移動。インドトライアングル(デリー、アーグラー、ジャイプル)の一つジャイプルから一路西へ。ジョドプールへのチケットは、しかめっ面のおっさんのキーボードを叩く軽やかな音と共にプリントアウトされた。ちゃんと空欄を埋めればなんと言う事はないのだ。とっととチケットが取れてしまい、本日の大仕事は呆気無く終了だ。現在時刻9:30。後は昨夜バスの中から見えた賑やかなバザーや、観光必須ポイントなどを冷やかして楽しむのみだ。

昨夜の道を逆に辿るように駅前の適当なバスに飛び乗った。後ろのドアの入り口に座っている車掌に地図で行き先を示し、4Rsを払って前へ。まだあまり混んで無い車内。運転席の二つ後ろの窓際のシートに滑り込み、独り観光ツアーのスタートだ。昨夜、空港からのバスから見えた幻想的な窓の外の景色は、あからさまな太陽に照らし出され、埃っぽく乾いた砂漠の街に変わっていた。一夜明け魔法がすっかり解け、白馬の夢の馬車は、ただのかぼちゃに戻ってしまったのだ。なんちゃって。夢の街で楽しげに楽器を鳴らし行進していた人々は、リアルで平凡な日常を生きる生身の人間に戻り、道はオートリキシャ、バス、車、バイク、チャリンコ、人力車、馬車、駱駝、犬、ロバ、山羊、人などと、とにかく車輪や足の付いたモノで溢れ返っている。夜の幻想とは正反対の生々しい日常と言う、旅人にとっての非現実が白日の下で展開される。オレはただ窓にへばり付いて、渦巻く熱気と混沌を楽しむ他ない。とは言えこのバスの車内も、茶の間のテレビの前のように現実から隔離された桃源郷では無く、いつの間にか押し込められて満員になった人の塊で外に負けない程の生々しい暮らしの現場と化しているのだ。道はこの街を覆う城壁の門へと続いていて、その手前で大渋滞を起こしている。巻き上がる砂埃、鳴り止まないクラクション、各種エンジン音、門の前では、全ての車輪や足を持つモノ達がイライラを募らせ、確実に混沌と混乱を一つの巨大なエネルギーへと転化させ、門を突き破ろうと凶暴度を増しているようだ。

門の中は、平行垂直できっちり区画され整然としているが、そんな整然クソ喰らえとばかりに、街は熱気や勢いに支配されている。しかし、その「イキオイ」や「ネッキ」とは裏腹に人々の顔には威厳が漲り、動作にバタ付きやムダも無い。この矛盾した雰囲気を上手く言葉で紡ぐのは難しいが、インド、砂漠、宗教、歴史、民族など、東京で便利に暮らしているだけではほとんど触れる事の無いそれらのキーワードが醸す独特さなのかも知れない。街の建物はコーラルっぽいピンク色の砂岩で造られていて、「ピンクシテイ」などと呼ばれているらしい。妙な統一感はなるほど圧巻だ。バスを降り取り敢えずは『風の宮殿』と呼ばれる必須観光ポイントへ行こう。地図を頼りに勘で歩くが辿り着く気配がない。地図と実際が噛み合わないのは世の常だ。仕方ないので「ナマステ〜」と、人の良さそうなお兄さんに尋ねてみた。優しく親切に教えてくれた通りに暫く歩いてみるが、またしても辿り着く気配がない。「まぁいいか」と、自分の足を諦めオートリキシャに乗り込もうとするオレ。そこへドライバーとのやり取りを聞いていた男が突如現れ、「風の宮殿なら歩いてすぐ行けるよ、付いておいで!」と、インド人にしては建設的なアドバイスをくれるのだ。そう、この男こそが良くも悪くも今日のオレの運命を大きく変えて行くのだ。思い起こせば苦々しくもあるが、この男がいたからこその収穫もまたすさまじいのだ。なんて言う程ドラマチックでも無いが、ただぶらぶらと観光地巡りで一日を過ごそうと決め込んでいたオレには、素晴らしい展開が待っていたのだ。すでに言ってしまうが、今日は正に「旅」な一日だ。こんな転がる石のような一日が平凡なオレの人生にある事に感謝しようじゃないか。

「うん、これおいしいです!」不器用に焼き立てのチャパティをちぎり、シャボシャボのカレーに浸して口に運ぶ。そして、ハフォハフォしながらも素直にそう感想を述べたのだ。本当に焼き立てってのは香ばしくて美味しい。カレーも、カレー風野菜スープみたいなもんだが、いい風味で辛味のパンチもなかなか効いている。怪しホテルで朝飯をパスしたので結構ハラは減っていたのだ。思いがけずタダ飯(たぶん)にありつけ、今日は朝から良い事ずくめだね。なにより、こんな風に普通に人の家に上がり込んでいるという状況がいいじゃないの。こういうのは、観光ツアーには入ってないからね。声を掛けて来たさっきの男に連れられてここにいるのだ。男の名は、アジャイ。身なりの整った賢そうな雰囲気。『風の宮殿』に連れて行ってくれるのではなく、彼の家からそれが見えるらしい。大きな道を渡ってすぐのところに男の家はある。階段を昇ると2階のテラスのようなスペースが開けていて、その隅でアジャイの父親らしき人物が食事をしていた。すると、挨拶も早々に「まぁまぁ、これ食ってきなさい!」なんて事になってしまったのだ。だからまだ『風の宮殿』は見ていないのだ。どこから見えるんだろ?もっと上があるのかな?などと、考えながらも、チャパティは次々と運ばれ、カレーも何度となく注がれる。イタチごっこのように両者譲らず、苦しい展開だ。

アジャイ父は旅行会社を経営していて、なんと日本にも支社があると名刺を見せてくれた。確かに中目黒に支社があるようだ。世間話をしていて年齢の話になった。海外では特に若く見らすぎるのであまり好きじゃない話題だ。日本で若く見られると、なんだか得をした気分だが、海外では実年齢に足りない未熟者と言う意味だ。そんな驚きとちょっとした軽蔑を与えてしまうのは不本意だが、正直に39才だと言うと、目ん玉を見開いて必要以上に驚くアジャイ父。39才と言えば、結婚して、子供がいて、家があって、色んな厄介事をクリアして渋い大人になってなきゃいけない年齢だ。それがなんだ、このオレは。フラフラと自由なつもりの薄い39じゃないか。余りにも苦労や年月の刻まれていないオレの顔に彼等は驚いているのだ。とは言え、嫁も子供も家も特別欲しがっちゃいないんだけどね。聞けばアジャイ父は42才だそうだ。明らかに貫禄の渋い顔だよ、ヒゲも決まってるし。そんな立派な顔がオレと3つしか違わない事にオレの方がひっくり返りそうになるよ。

楽しい会話と食事をしていると、もう一人登場人物が現れた。親戚だそうだ。なんだか挙動が秋野大作そっくりで、とぼけた味わい深さがにじみ出ている。「俺たちの旅」だね。だから彼は「ぐずろく」と呼ぶ事に決めた。どうでもいいけど、突然の日本人に、全く驚きもしないで友達のように話しができるのっていいね。最高だ。いいぞ、ぐずろく。

そんなぐずろくやアジャイから、郊外の田舎は見たくないか、と素晴らしい提案が。願ってもない申し出だ。おまけに夜は豪華な結婚式があって、その大パーティに行かないかというナイスな誘いも嬉しい。ゾウも沢山来るらしいし、食事も豪華に食べ放題らしい。

ガイドブックをトレースするような、しょうもない一日になるはずだったのに、素晴らしい展開だ。

狭い路地を器用にバイクを走らせるぐずろく。平然を装いながら必死に後ろのシートにしがみつくオレ。路地を往来する人ゴミや何食わぬ顔で道を塞ぐ神聖なる牛を蹴散らしながら進んで行く。絶妙にすれ違う度に「ウォ〜!」などと臆病な声を静かに漏らすオレに、「インド、ポッシブル!ジャパン、インポッシブル!」などと妙に納得させられるような台詞をポツリと口にするぐずろく。それにしても、このバイク一体どこへ?

辿り着いたとある家のドアをくぐり狭い部屋に通された。布団のような座布団が敷かれ、男が6〜7人。その中にはどうやってオレ達より先に着いたのか、アジャイとアジャイオヤジの姿もある。友人だと紹介され、不思議な39才だと説明される。アジャイオヤジはどうしても信じられないと言うので、パスポートを見せた。写真と実物のオレを見比べながら自分よりも3才程しか違わないおれを信じれれないといった表情で見ている。おれは不思議の国ニッポンから来た永遠の若者なんだよ! と、はぐらかすしかないのだ。

訳の分からぬまま、狭い部屋に白昼男が固まってチャイなど啜りながら、ゆんたくとは。微笑ましいやら気色悪いやら。オレを連れてきた真意が掴めないだけに、無気味だ。突然豹変してオレをみんなでボコボコにして身ぐるみ剥がそうとでも言うのだろうか?

和やかに歓談が進む中、その中の一人が自分はアーティストだと、自分の絵を見てくれと、部屋の隅のアタッシュケースをみんなの真ん中に引っ張り出してきて中の絵をオレの前に広げ始めた。ここラジャスターン名物の細密画だ。確かに器用で根気のいる絵だが、特に面白い訳じゃない。しつこく売り付けられても面倒なので、あまり興味のない素振りで、かつ相手を傷つけない程の最低限の興味でその男に付き合ってやるのだ。なんて日本人なんだろう、オレ。ノーと言えない日本人だ。暫く退屈な絵にわざとらしく感心したり、驚いたり、初めて見たような振りで遊んでいたが、絵のテーマが王様やお姫様から、男女の合体カタログに変わって来た。一人の男のイチモツに群がる複数の裸の女達。アホらしい体位が少し笑わせてくれる。それが、お前等の夢か? オレも同じ夢見てたよ。

話は、村の見学の事になり、金の話になった。オレのノートにバイク代、ガソリン代その他もろもろの経費が箇条書きにされ、最終的には友達価格だと適度にディスカウントされた値段が提示される。夜の結婚パーティ代も入っているらしい。ぐずろくが何度も食べ放題飲み放題のゼスチャーで御得感を演出するが、1,100Rsは安くはない。夜のパーティは本当はどうでも良いのだが、村見学とセットだと向こうも引かない。頭の中では、日本円に換算すれば高くないぞと納得材料を探す。ただの観光スポット巡りの一日よりは、この話に乗った方が何倍も有意義だ。結局は良い写真を沢山撮れればオレの勝ちだろ、などと、思いを巡らせる。ノートの数字を指し「全部込みでこの値段だな、間違い無いな!」とぐずろくのギョロ目を凝視し、契約を成立させた。

ところで、『風の宮殿』はいつ見れるんだろう?

「日本人の女、アソコキツイか?」

「日本人ちっちゃい、だから女のアソコもチッチャイね!」

「チンコもチッチャイか?」

「日本人の女イイ! オレは色んな国の女を試したが、日本イチバン!」

「女紹介してくれ!」

街の外れへと向かうオートリキシャの中で、隣に座ったアジャイはずぅ〜とこの話しだ。はっきり言ってうざったい事この上ない。アソコが狭くてキツイから何なんだよ。お前の女がブカブカなだけだろが!神秘と精神の国インドも下品な猥談が幅を効かせているようだ。しかし、ええ歳こいたおっさんが、10代前半のアイドルタレントにうつつを抜かしている何処かの国よりは健全な気がしないでもない。

街の外れで、先回りしていたぐずろくのバイクが待っていた。ここからは3ケツでバイクに股がり、郊外の村を目指すのだ。街中の3人乗りは禁止されているのだ。地味に延びた一本道を快調に飛ばす。時おりすれ違う駱駝の荷車が異国風情をバラまき無条件に楽しいのだ。このままどんどん遠くでも何処でも行けばいいと思う。スピードと開放感が、このままどうにでもなれという自由な旅人の欠片(カケラ)をココロにまき散らすのだ。オレのインドがやっと始まったのかも知れない。そんな気分の良い旅人になったまま、ベコベコのペットボトルの栓を開けた。生温い水をゴクリと飲み込んだ。

コンクリートで出来た、簡素だが小奇麗な教室。少し薄暗いが窓からの光が妙に絵画的だ。長い机に3人づつ座っている。ここは、村見学最初のポイント。多分中学校だろう。ぐずろく&アジャイに促され、授業中の教室へ。海外旅行中に限り社交的なオレでも、さすがにこれは勇気がいる。「さぁみなさぁ〜ん、日本からのお友達でぇ〜す!」くらいの紹介付きでオレをサポートしてくれても良さそうなもんだが、全くその気配は無い。ぐずろく&アジャイは控え室のような職員室で顔馴染みなのか先生とすでに話し込んでいる。仕方なく「ナマステェ〜!」の掛け声と共に教室へ乗り込んだのだ。突然の訪問者に一斉に私視線が注がれ、弾けたような約30人分の「ナマステェ〜!」が気分良くオレに跳ね返る。オレの後ろから射し込んだ光でみんな顔が照らされ、クリクリした瞳がキラキラと輝く。授業を遮るオレを何か退屈からみんなを救い出す救世主でも見るような期待に満ちた表情で見ている。薄暗い教室の中から見れは、ドア越しの光に溢れた外側の世界を背負って立つオレは、正に後光輝く逆光の救世主に違い無いだろう。

分りやすく手にした古い二眼レフにみんな興味津々だ。男子は撮られたい気分を丸出しで、我先にと席を立ちカメラの前でポースをとる。女子はかしこまって座ったままはにかんだ顔を見せるのだ。授業中にこんなに盛り上がっていいの?と、思うほどの騒ぎになってしまった。話す事もなく互いにじわぁ〜っとした空気に耐えるような微妙な時間を過ごすよりはましだが、盛り上がりすぎだろ、お前等!でも一番盛り上がってるのは実はオレで、何枚も何枚もシャッターを押した。これが本当のコミュニケーションと呼べる代物かは分からないが、子供等もオレも楽しい時間を過ごしたのは間違い無いだろう。自己紹介したり、写真を撮ったり、ノートを見せてもらったりと、上ずった時間に終わりの合図をするように鐘が鳴った。本日の授業終了だ。途端に机の上のノートを鞄にしまい、宇宙船のドアが壊れて外へ吸い出される宇宙飛行士のような勢いで、みんな教室の外へと消えて行ってしまった。

次も学校だ。今度は小学校。教室の外や廊下で幾つかのグループに別れてテスト中のようだ。神妙な空気もお構いなく、ぐずろく&アジャイに連れられドカドカと乗り込んで行く。「ナマステェ〜!」でかい声で叫びながら手を合わせると、またしても一斉に振り返り、律儀に手を合わせて「ナマステェ〜!」と返事が帰って来る。なんだか地方の学校に視察にきた御偉いさんのような気分にならないでも無い。教室ではちっちゃい子供達が、冷んやりと気持ちよさような地べたに座り込み、懸命に先生の話を聞いていた。しかし容赦なくドカドカと入り込み「ナマステェ〜!」をかます。目下おれは遠くから来た御偉いさんなのだ。じゃなきゃこんな横柄な態度はとれないのだ。しかし、先生にも子供等にもすこぶる評判はいいようで、小さな手を合わせて子供の高い「ナマステェ〜!」の声が沢山の塊となって返って来た。なんという居心地の良さだろう。平家の校舎の全ての教室に顔を出し挨拶をして歩く。最後の部屋で校長先生が生徒が作った模型や絵などを誇らしげに見せてくれた。いい光景だ。いい人間関係だなと素直に思えた。足らない馬鹿なくせに、先生も親も世間の大人も対等だと勘違いしてる阿呆な子供らで埋め尽くされた何処かの国とは違うんだと思った。人との関係が柔らかい、いい村だと思った。

バイクは一直線に伸びる幹線道路を左へ外れ、砂埃の舞う細い田舎道へと入っていった。道をそれると、もうそこは舞台裏のような殺風景でやたら見晴しのいい、置いてけぼりの郊外が姿を現わす。別の言い方をすれば、幹線道路脇に連なる店や屋台なんて、その奥に広がる殺風景な景色を塞ぐよう、なハリボテの舞台セットのようなものかも知れない。しかし、点在する民家は、街のものとは明らかに違う土の壁や木の枝で囲った塀、家畜小屋、開けた中庭と、置いてけ堀をくらった見窄らしい郊外なんかじゃない、豊かな人間の温もりを感じさせる空間や時間へと変わっていく。

小便臭い家畜や藁が香ばしい、中庭へ足を踏み入れる。派手なサリーを纏った女性達が無彩色の景色の中で絶妙な調和を見せる。はにかんだ表情の可愛らしさが、リアルな生活の現場でやけに魅力的だ。子供等は嬉しそうにはしゃぎ、奥では厳めしい顔の老人が丸い壷を手に黙々と作業を続けている。静かで豊かな、退屈極まりない農村の光景。騒々しく貧相で、退屈なんかしてる暇などなく、そのくせ本当には充実する事の無い自分の時間と照らし合わせた、無責任で手前勝手な思いがある種の憧憬を呼び起こす。

村の道では、子供達が珍しい外人を嬉しそうに取り囲む。外人のおれは外人らしく可愛い子を選びカメラを向ける。「チョットどいて、チョット!」と、被写体の女の子からなかなか離れないガキ共をうざったそうに手で払い除けるが、ハエのようにすぐにまた寄って来る。おれの「チョット、チョット!」が相当面白いのか、「チッチナー、チッチナー!」と間違った発音で大合唱が始まってしまった。こっちの言葉でなにか変な意味でもあるのだろうか?もう、訳も無く笑えるトランス状態に陥っていてどうにも撮影が進まないのだ。

ぐずろく&アジャイの友達らしき家にお邪魔し、屋上で暫し休憩だ。チャイが美味しい。屋上からと言っても二階からなので少し上から覗く感じだ。向いの家の様子や道往く人を眺めたりと、現実離れした物語の中に入り込んだような時間が心地よい。遠くからオレの姿を見つけたのか、「チッチナー、チッチナー!」と嬉しそうに叫ぶ声が、何処からか風に乗ってやって来た。

村はずれの藁の家では、じいさんと女の子が静かに暮らしていた。寡黙なじいさんは、外に繋いだ立派な牛の乳を寡黙に搾っている。うんざりする程の回数を搾り取ってきただろうその馴れた手つきで、「ジュオォー、ジュオォー」と、気分良く乳が発射される。先っぽから白い液体が勢い良く飛び出すのは、その液体が何であれ気持ちの良いもんだ。ちなみに、車のワイパーの洗浄液も大好きだ。意味無く飛ばして「アァ〜!」なんて気分に浸るのも悪く無い。なんかスッと抜けた気分になれるね。それにしてもこの静けさは何だ。遅い午後の斜の太陽に照らされて浮かび上がるこの簡素な家や、見晴しの良い周りの畑の景色が、頭に居座る雑多で猥雑なインドのイメージを見事に壊してくれる。そんな勝手な感想を楽しみながらシャッターを切る。「プチッ!」乾いたシャッター音がその静寂を破り、驚いた牛が突然暴れ出した。叫び声上げながら俊敏に身を捩らせる牛。オレもびびったが、搾ってるじいさんも驚いて後ろによろけた。幸い怪我は無いようだ。悪い事をしたと謝る。

端正な顔が美しい女の子に家の中を見せてもらう。床は地べたそのままで、壁は藁や木の枝だで出来ている。広さは6畳あるかないか程で、自然と腰を屈めてしまう。部屋のコーナーに鍋や食器などが置かれていて、その手前に簡素なかまどがある。火が燃えていて小さな鍋が美味しそうな湯気を吐き出していた。中を見せてもらうと、じゃがいもや豆のカレーのようなものがグツグツと煮えていた。電気も無いこの家では日が暮れる前に、晩飯を済ませ、日が暮れたら静かに寝るんだろうな。じいさんと孫娘の静かな暮らしなんだろうな。両親はどうしたんだろう?カメラをそっと指差し、写真を撮りたいと伝える。レンズを真直ぐに見据える目が本当に素敵だ。いい時間がいい顔を作るんだろうな。

畑仕事や大工仕事でも女性はサリーだ。作業には不釣り合いな生地の美しさだが不思議と違和感を感じない。適度に傾いた夕方の太陽を背に、畑にしゃがんで作業する姿は、どこか現実離れした神々しささえ感じる。そんな思いで眺めているオレにぐずろくは、「写真はどうだ」などと魅力的な提案をするのだ。しかしこれは一番苦手なパターンじゃないか。まず、女。そして仕事中。とどめに畑の真ん中にいるため、一人で交渉の全てをしなきゃならない。ふぅ〜、なんと億劫な事だ。しかし、「写真は撮らせてくれるから行って来いよ。」と、ぐずろく。こんないい被写体を逃す手はない、勇気を出してノリと勢いで任務を遂行するのだ。とぼとぼそしてドキドキしながらその女性に近付く。「ナマステェ〜!」。気のせいか柔らかく微笑んだ優しい表情でチラッと振り返る女性。じわぁ〜っとした時間と空気が流れ早くも畑の中で固まってしまった。うぅ〜、だめだ、全くだめだ。でも、微笑んでいたじゃないかと自分を騙し騙し、再び「ナマステェ〜!」そしてカメラを指差し撮影したいと言うことを伝える。ハッキリとイエスでもノーでもない曖昧な微笑みが返って来た。こう言うのはOKだと解釈なのだ。撮影は常に愛想と図々しさのバランスのの上で絶妙なバランスを保ちながら横柄かつ謙虚に行うのが作法なのだ。撮られても撮られなくてもいい、もしくは、撮られたいけど恥ずかしい、こんな微妙な乙女心には先程の作法で持って背中を押してあげるのがお互いの為なのだ。グルグルと頭では撮影の正当性とインド社会に於ける女性の社会進出、都市部と農村部に大きく横たわる女性の地位格差などの問題が唸りを上げて渦を捲いている。しかし、すでにファインダーでは勝手に、働く女性の逞しさと神々しさをフィルムに収めて日本へ持ち帰ろうと言う野望の下、シャッターチャンスを伺っているのだ。グダグダなコミュニケーションで撮れる写真なんてグニョグニョな写真に決まっているし、そんな事ぁ嫌と言う程分かってるけど、それでも実際に今感じたこの気持ちや気分を写し撮りたいと思うのだ。なぜならオレはカメラ馬鹿だから。その女性は「そんな悲壮に思い詰めなくてもいいんじゃない。」なぁ〜んて思ってるのか、しゃがみ込んで雑草をむしりながら静かに微笑むのだ。逆光で頭に被ったサリーで顔がよく見えないが、確かに微笑んでいるのだ。なんと言う神々しさだ。しかし、この村は一体どうなってるんだ?誰も写真を拒まないじゃないか。学校でも、民家でも、畑でも。男も女も子供も老人も。あまりにも簡単でおかしいよ。ぐずろく&アジャイの仕込みの村か?それならそれで大いに白ける一方で、その仕込みっ振りに拍手だ。乾杯もしていい。ちくしょう!なんて良い村だ、なんてイカす村なんだ!

興奮して戻って来ると、ガキが畑から抜きたての大根を洗って持って来てくれた。小さなニンジンサイズの大根だ。一口かじってみる。土の匂いと甘味がなんとも剥き出しの田舎味じゃないか。この生水&生土が大いに気になるところだが、いい旅の瞬間だろう、これは。

知り合いの建築中の家を覗く。ここで初めてアジャイの友人から「ラァ〜ム、ラァ〜ム!」と言う挨拶を聞いた。来る前にプチ情報として知人から聞いていた言葉だ。「神よ、神よ!」と言う意味だそうだ。そんなプチ情報など、成田を離陸したとたんに忘れていた。慌てて手を合わせ「ラァ〜ム、ラァ〜ム!」返しをする。アジャイ友人は目を一段と見開き歓迎の意を表わしてくれた。すごくいい事を思い出したように、現場の人々に「ラァ〜ム、ラァ〜ム!」と挨拶回りをスタートさせた。厳つい現場仲間にもウケは上々だ。「ナマステェ〜!」とは暫くお別れだ。

まだまだコンクリート剥き出しの作りかけの物件だが、なかなかの広さの2階立て。庭もひろそうだし、何より隣の家が随分と遠くなのが良い。これが本当の贅沢と言うもんでしょ。

最後に「ラァ〜ム、ラァ〜ム!」とお礼を言い、現場を後にした。すると唐突にぐずろくがオレに教えてくれた。「あのオーナーは金持ちだ。そんでもってアメリカが大嫌いなんだ。」と。脈絡のないおかしな報告だったが、気に入った。素晴らしい報告だよ、ぐずろく!こんなインドの田舎で唐突に表明されてもなんだが、いい。地球の絶対権力アメリカに反旗を翻すなんて、そんなパンクな田舎暮らしがあってもいいじゃ無いか、グラスの底に顔があってもいいじゃ無いかと息巻いてた誰かを思い出しながら、いいと思った。静かで長閑な日常に萎えないような強い意志を持って生きるなんて、いいよ。しかし、彼等のその思いはオレが無責任に誉めるような薄いもんじゃ無いだろう。インドが核を持つに至った経緯はアメリカとは無関係では無いし、この辺りから西へと広がるタール砂漠の何処かで核実験は行われているのだ。そしてそれが、こんな静かで長閑な日常を蝕んでいないとは断言できないだろう。犠牲は常に積極的に悪意や野心を持たない普通の人々に強いられるのだ。何年か前、核の悲劇を訴えるためににインドにやって来た広島の女子高生グループは、「被害者面したって今お前等はアメリカの核の傘の下にいるじゃないか!」なんてインド人に言われて、言葉を無くしてたっけ。オレ達は微妙に情けない場所に立たされているのだ。それに気付かないで正論吐いても説得力など無い。「草を食ってでもインドをぶっ潰す!」とパキスタンは言っているそうだ。わしらは草を食ってでも成し遂げたい何かなんてあったっけ?わし等の決意の薄い正義など、誰の心も動かさない。世界で唯一の被爆の国から、正義を叫んでさえ届かない。そんな我々の立ち位置を今一度確認するべきだ。

再びアジャイ友の家。またしてもチャイを御馳走になっていると、じいさんが帰ってきた。挨拶をすると「気分はどうだ?わしはアメリカは大嫌いだ!」などとまたしても脈絡無しの嬉しい発言が飛び出して来た。なんだなんだこの村は。みんな嫌いだよあんなクソ国!なんて剥き出しの感情を飲み込んだ。そして「僕は日本政府も嫌いです。アメリカ寄りと言うよりはアメリカと一体化しすぎた政策が嫌いです。アメリカの属国から脱して独立するべきです。日本政府と日本国民は一枚岩ではありません。だから我々を誤解しないで下さい。」こんな意見を軽く表明すると、目を細め嬉しそうに握手を求めて来るのだった。うぅ〜ん、日常に政治や世界情勢が息衝いているんだな、この国では。忘れてはいけない、インドは準戦時国なのだ。平和で不思議なだけのカレーの国ではないのだ。

ところで、『風の宮殿』はいつ見れるんだろう?

18:00。一路パーティ会場へ。インド映画に出て来そうな絢爛豪華なホテルの中庭を借り切って結婚パーティが行われるのだ。さっきの田舎とは別世界。このパーティを主催したと言う太っちょなお友達を紹介される。金持ちだってさ。スゴイのは会場だけじゃなくゾウも沢山呼んであるそうだ。広い敷地の方々で各種料理の準備で忙しそうにスタッフが動き回っている。何百人も呼ぶパーティだけになかなかのスケールだ。歌に踊りにゾウに食べ放題!こりゃスゴイや!でもさっきと違って何かココロが動かないな。残りの600Rsをアジャイに払い、一端ホテルへ戻る事に。

一人になりトボトボと歩いていると、凄まじいスラムエリアに出た。明らかに今までとは違う独特なオーラを発しながら約100m程続く。饐えた臭いと独特の雰囲気、迫り来る夜の気配などが入り混じった嫌な空気が纏わり付く。道の左側にはゴミ捨て場のような彼等の棲み家が並び、右側は空き地になっている。左側に並ぶ彼等の棲み家では、電気も無く薄暗い中、粗末な食事を煮炊きする火や煙りがどん底の暗闇にか細い命の炎を灯すような申し訳無さで燻っている。右側の空き地は絶好の遊び場になっていて、子供達がキャッキャッと楽しそうに遊んでいる。遊び盛りとは言え、見窄らしく汚れ過ぎたドロガキ共だ。悲しいかな、生まれつきの境遇を当たり前に受け入れ、屈託のない笑顔ではしゃぐガキ達。気が滅入る光景の中、こんな連中に取り囲まれたらヤバイと、足早に通り過ぎようとしたその時、オレに気が付いたガキ達がハトのように寄って来てしまった。しかも、一人の女の子がオレにペタッとくっ付き、オレの手をキュッっと握って離さない。なんだなんだ、こいつは。振り払う訳にもいかず、二人で手を繋いで歩くハメに。ボロボロの服、真っ黒に汚れた身体や顔、ボサボサでパサパサの髪の毛、ドロまみれの裸足の足。近くで見ると一際汚く見窄らしい。「うわぁ〜キッタネェ〜!」素直にそう思った。仕方なく諦めたように握られた手の力を抜き、ただ棒のようにぶら下げて歩くオレ。だが、しがみついたその小さな手は、意外な程柔らかく温かいのだ。驚きと安堵感のせいか、辺りの薄暗さが一瞬明るくなった気がした。

インドとは言え、夜の水シャワーには勇気が必要だ。だが、これからのパーティと深夜の列車移動のために、ここは一つ勇気を出すしかない。テレビ付きのダブルベッドの部屋でもシャワーは水なのが悲しい。「アウァアウァ」などと可愛いアシカのような声を上げながら、決死のシャワータイムだ。

集合は19:30たが、なぜか今一つ腰が重い。絢爛豪華なパーティなど、心底楽しめる柄じゃないし、何より日本人のオレがノコノコと出掛けて行くようなとこだろうか?そんな事を考えながらボォ〜っとテレビを眺めていた。どのチャンネルを回しても、似たり寄ったりのインド映画風ばかりだ。そう言えば5年前インド映画にかぶれて初めてのインド旅行へ出掛けたっけ。なんだか今は色褪せて見える賑やかな箱の中の世界。そんな中にあって、異彩を放つチャンネルが目を引いた。MTVだ。なんだかアメリカの歌手じゃないかと思わせるような凝った演出やセット、洗練された演出。目は引いたが、インド臭が極度に後退したそれらの楽曲やシャープかつタイトに踊るアーティストの群れに、かつてオレの心を鷲掴みにしたような新鮮な魅力は皆無だ。クソ野郎が!こんな風にして歌や踊りも退屈に統合されて行くんだな。ツマラナイ、全くタイクツだ!箱の中の退屈なんか抹殺してしまえと、リモコンのスイッチを押した。そして、イカサマな退屈におさらばとばかりに部屋を出た。

20:30、オートリキシャでパーティ会場へ。派手な電飾に音楽、周りを取り囲む料理の数々。人ごみの中から着替えを済ませたアジャイが現れた。唯一楽しみにしていたゾウの群れはもう帰ったそうだ。ドリンクを手にプラプラと見物していると、新郎新婦が派手なサリー軍団に囲まれ現れた。プロのビデオカメラマンやスチールカメラマンに混ざって撮影に加わる。図々しくも、プロカメラさん達の照明を拝借しつつ、新郎新婦の真ん前に躍り出て「おめでとう!」なんて言ってみるのだ。御祝儀に100Rs頼むとダメ押しでアジャイに徴収されてしまった。かなりの高額を既に支払ったのに、またか。釈然としないままに仕方なく100Rsを渡す。ちゃんと新郎新婦に渡せよ。

暫く見学の後、先に帰ると言い出したアジャイを見送る。独りぼっちになってしまった。手持無沙汰で居心地が悪いが、取り敢えず元取らなきゃ。立ち並ぶ料理をじゃんじゃん皿に盛り、芝生で夕飯だ。不思議と誰も怪しい日本人など気にも掛けない。絢爛豪華な淋しい食事だ。しかも見かけ倒しで美味くも何ともない。料理の並んだテーブルの前ではみんな押し合いへし合いの大騒動だ。芝生に座り込んでいるとよく見えてくるが、辺りは結構散らかっている。空の皿やグラスは放ったまま、ゴミのコーナーは悲惨な程に溢れ返っている。みんな勝手に盛って、好き放題に食い散らかして、なんかもうお祝ムードの一体感など何処にもない。無制限の贅沢に群れるカンティル(アマゾンの殺人魚だ!)さながらに殺伐とした光景。この手のパーティにや良くある光景だ。金持ちは沢山集まると、みんな自分勝手で周りの見えないカスになるんだな。料理と同じく、見かけ倒しな連中だ。こんな金だけ掛けたようなパーティに期待なんかしてないけど、あんまりだ。何をしてるんだオレは、一刻も早く出よう。こんな腐った場所、すぐに出よう。ビンロウジュを一つ口に放り込んで会場を後にした。それにしても、ゲッ、なんて不味いんだ、これ。手に残る半分を茂みに叩き付け、口に溜まった赤く染まった唾の塊を地ベタに吐きつけた。

で、『風の宮殿』はいつ見れるんだろう? って、アジャイ帰っちゃったじゃないの。なんだあいつ! 本当には大して見たくもなかったけど、なんか悔しい気もする。今日見なかったって事は、一生見ない可能性大だからね。

大通りの交差点を渡り、アジメール陸橋の方角へ足を向けようとしたところで、脇の公園から何やら祭りのような楽しい音楽が聞こえてきた。向きを変え恐る恐る近付いた。薄暗い公園の奥の方にステージのように盛り上がった一角があり、橙色の灯りに照らされている。12〜3人程の若者が円になり、太鼓やキーボードのような楽器、マイクなど色々な楽器を手に演奏をしていた。遠巻きに見ていたオレに気付いた男が人懐っこい顔で「カム、カム!」と、手招きで呼んでくれた。ステージへ上がって近くで見ていいと言うありがたい御言葉に遠慮なく草履のまま上がろうとすると、「靴は脱いで!」とステージの奥を指差して優しく注意された。指の方向には顔や腕がが幾つもあるコミカルな全身朱色の神様がいた。ここはただのステージではなく、神様に祈りを捧げる神聖な場所のようだ。

演奏をしている若者や周りのギャラリーに挨拶をして座り込む。突然の日本人客にも特別驚く訳でもなく暖かい雰囲気だ。突然、マイクを手にした男に「歌わないか?」と言われるが、歌えないだろ、突然こんなの。でも、突然でも何でもドォ〜ンと歌ってしまえばどんなに気分がいいだろう。颯爽と歌う格好良い場面を勝手にシュミレーションしながら、弱気な自分を少し怨めしく思うのだ。

目の前でAメロ、Bメロ、サビ、本来あるべき区切りを持たない即興っぽい曲がクネクネとヘビのように続いて行く。独特の節回しや絶妙な太鼓のリズム、終わりそうで終わらないこの不思議な曲を聞きながら辺りを観察する。神様の後ろの暗闇で、地べたにしゃがみ込んで食事をしている男が見える。暗闇と地べたの取り合わせのせいか、見窄らしく哀愁に満ちた森本レオのようだ。オレの感覚では夜の公園の暗がりで、地べたに座り込んで食事をするのは、ホームレスや乞食なのだが、どうなんだろうか? オレを招き入れたあの男も、ステージの若者も集まってる20人程の客も、特別に貧しそうでもない。中には綺麗なサリーを纏った女性もいる。小さな子供も、老人もいる。この集まりは何だ? なんだか良くわからないが、悪くない。

「メシ食わないか?」男が誘ってくれた。さっきのパーティでヤケクソ気味に食べてしまっているので満腹だ。「フルフル!」と満腹振りを伝えるが、「じゃあスイーツはどうだ。」と、なかなか断れそうも無い人懐っこさで誘ってくるのだ。本来ならデザートを「スイーツ」なんてこそばゆい言葉で言うカス野郎は、生かしちゃおかないが、心優しいインド人なら仕方ない。結局、御馳走になる事にし、さっきの森本レオの場所へ。まさか自分がそこで同じようにメシを食べる事になるとは思いもしなかったよ。地べたには薄汚れた布が一応敷いてあり、細長く敷かれたその布の上で何人かが食事をしている。ライトも無く暗くて良く見えない手元に、葉っぱで出来た皿がポコンッと置かれ、鍋から御自慢のスイーツが盛られる。怪しい事この上無いが、食うしかないのだ。暗闇地べたの晩餐会だ。さっきのパーティとは正反対のムードだが、これが旅なのだ。この急展開ぶりになんだか楽しくなってきた。甘いスイーツを手ですくって口に頬張る。なんとも言えず優しい甘さだ。あの苦いビンロウジュをかき消すように口の中に甘さが拡がる。ぶっきらぼうに料理を盛って歩くこの鍋おじさんも、シブリ作品で脇を固めてそうな濃厚キャラだ。無口な優しさが素敵。なんか居心地いいぞ、ここ。すると、葉っぱの器と皿が追加され、カレーやチャパテイ、唐揚げのようなものが遠慮なく盛られ始めた。おいおい、満腹さんだよオレは。だが不思議と悪い気はしない。料理は全て、公園の隅で煮炊きされたものだ。ホームレスの炊き出しのようだ。おもろい顔の神様の裏で、今夜二度目の食事。ステージから漏れるほのかな光りと音が、なんとも幸せを感じさせてくれる。隣の男とポツポツと会話をしながら、不器用な手掴みで料理を口に運ぶ。この唐揚げが妙に香ばしくて美味い。正体は不明だけどね。なんでも今日は女の子の3才の誕生日パーティだそうだ。おぉ〜ここもパーティだったのか。クリクリ目の可愛い子がチョロチョロしてたな、あの子かな。布に横一列に並んだ女の人達の誰かがお母さんかな。綺麗なサリーもお構いなく座り込むのも、気分が良い。この公園では、みんなで笑ってみんなに与えて、何か胸を打つものがあるね。誰も金など要求しないし、妙な詮索も駆け引きも必要無い。我先にむしり取るだけのさっきのパーティでは味わいようの無い暖かさがオレを包み、一時だが祝いの輪に入れた気がした。何度もお代わりのチャパティやカレーが盛られ相当に腹がきついが、何とか平らげた。素焼きのコップに注がれた壷の水を恐る恐る飲み、見事ご馳走様なのだ。すっかり公園の住人のような顔で再びステージの演奏を楽しませてもらう。ジブリが皆にチャイを振る舞い、終わらない歌と長い夜が永遠に続くように思えた。

大きな通りには、もう余り車も人もいない。トボトボと歩き、アジメール陸橋の真ん中で、下を横切る線路を見下ろす。不意に、重たい列車が下からノソッと顔を出した。黒い塊は不思議な程静かに、冷たいレールの上を滑って行く。全てが止まってしまったかのような夜の真ん中で、突然姿を現わした巨大な黒い鉄の塊にギョッとする。静けさと闇。暫く鉄の塊が行ってしまった後のレールを眺めていると、何かの合図のように、暗闇の中で何処かの光を微かに浴びてヌラリと光った。そうだ、もうじきオレもこのレールの先の砂漠の街へ向けて出発だ。公園の余韻と感傷に浸っている場合じゃない。タイミングよく通りかかったリキシャに飛び乗り宿へ向かう。オートリキシャではなく、ただのリキシャだ。痩せぎすの少し老いぼれたリキシャマンが漏らす辛そうな声と、キコキコ軋むペダルの音に揺られながら、寝静まったスラムエリアを再び通り掛かる。深い闇に埋もれたゴミの山。そんな風にしか見えない寝床で、あの子供等はどんな夢を見ているだろうか。

「ウッ!」あまりの悪臭に息を止めた。ジャイプルの駅構内に一歩足を踏み入れた途端に、数百人分もの強烈な足や脇の悪臭が罪の無い純真無垢な旅人を飲み込んだ。だだっ広い構内は、非常時に避難民で溢れた公民館や学校の体育館の様相を呈しており、インド的な混沌をこれでもかとばかりに見せつけてくれる。ここは市民の寝床なんだろうか?表ではもう夜中の1:00にもなろうかと言うのに、ギラギラ電飾眩しい特設ステージでギンギン大音響の歌や演奏、そして踊りが。ヤケクソ気味なお祭り騒ぎで活気に溢れている。そんな外での大狂乱が遠慮なく押し寄せてる駅舎の床で、眠りに付こうかと言う面々。う〜ん!さっきのしみじみした夜の真ん中は、何処へいってしまったのだろうか?こんな風にしみじみとバカ騒ぎが脈絡なく身に起こっては、ココロやキブンのやり場に少し困ってしまうと言うもんだ。映画の一場面のようなつもりで、しっぽりと宿に帰り、荷造りをし、口数の少ないチェックアウトを済ませ、野良犬とすれ違うだけの寂れた道をトボトボ歩いて駅にやって来たというのに。「バカが気取るなよ!」と言わんばかりに、ギラギラとギンギン、更には極悪を極めた悪臭が襲って来たのだ。

構内に隙間なく埋め尽くされた人や毛布の間を無呼吸で一気に通り抜け、ホームに出た。するとそこはまた、夜行列車を待つ人影まばらなイメージ通りの光景がしんみりと広がっているのだった。

まだ、発車時刻までには随分と時間がある。腰を降ろし柱にもたれる。手持ち無沙汰な時間を持て余しながら辺りをただ眺めていると、日本人風のヨレたおっさんが寄って来た。しょぼくれたサラリーマン風な背の低い薄らハゲが、夜中のホームに一際哀愁を放ち、正に印度的演歌風景色を出現させる。しかし男は、そんなチンケな外見とは不釣り合いなダンディさで、たばこに火を付け、気だるい煙りを吐き出すのだった。そのアンバランスに興味津々なオレの視線を感じたのか、「まだ当分列車は来ないよ。向こうの待ち合い室へ行かないか?」と声を掛けて来た。初めての夜汽車の旅で、駅の施設に疎いオレは、この提案に両手を挙げて大賛成だ。

殺風景な部屋は割と広く、ベンチともベッドとも言えないような木の台が幾つか無造作に並んでいた。数人の死んだように寝ている人間で埋まったベンチの隙間を縫い、奥の空いてる台へ荷物をドカンと下ろし腰を沈めた。ダンディが靴を脱ぎ足を組むと、またしても強烈な足臭がオレを襲う。なんだよ至近距離からのこの刺すようなニオイは、今夜は足臭祭りか? 勘弁してくれ!

ロバート・アンディ、ホテルオーナー。ホテルのアドレスはパプアニューギニアとなっている。臭いを吸い込まないで空気だけを肺に取り込むという難易度の高い技を自然にこなしながら受け取った名刺には、そう記されていた。その全ての項目が意外性に富んだ、素晴らしい名刺だ。椰子のシルエットをあしらったデザインと涼しげなブルーが、安いリゾート感をオレの指先に漂わせる。シケた薄暗い待ち合い室とのコントラストもバッチリで、最高のしょんぼり感を味合わせてくれるのだ。しかしアンディが続けて見せてくれた書類は、更なる極上のトホホ感を捩じ付けるように味合わせてくれる代物だった。

盗難証明書とでも訳すのだろうか、ファスナーの空いたリックから財布やパスポート、航空券まで、旅人の命のようなそれらを盗まれたと言うのだ。何という間抜けでお馬鹿な話しだろうか。こんな話しをすぐに信じ込む程御人好しでは無いが、この紙キレがニセモノだとも言えない。サインやはんこはリアルだし、タイピングされた盗品リストが何より脱力物だ。半信半疑のままアンディの話を聞く。

なんでも、マドラスまで辿り着かなくてはいけないらしく、それには一番金の掛からない列車移動しかないと。駅長に便宜を計ってもらい、上手く席を確保するのだと。分かるような分から無いような話しだし、英語の弱いオレには100%理解出来たかどうかも怪しい。まぁ、一番怪しいのは目の前のこのおっさんなんだが。早い話が、そんな可哀想なオレに金を恵んでくれというのが、パプアニューギニア在住、輝くホテルオーナー、ロバート・アンディの切ない主張のようだ。

そんなアンディは、僕にとっても親切!荷物をまとめて、ここにもたれろだとか、蚊がうるさいねと払ってくれたり。更には何時の列車で何処に行く?寝台はちゃんと取れてるか?その後のプランは?等々。どうやらオレの列車の方が早く出発するらしく、「このわしに任せなさい!」とばかりに、インド初の列車旅の不安を取り除こうと、色々と教えてくれる。更には、オレの旅の残りの日程をもとに、バラナシーやアグラーなどの今回は行く予定の無い街を巡るゴールデンプランのようなモノまでを器用にタイムテーブルを縫ってプレゼンテーションしてくれるのだ。お陰で最高にバタバタする上に、殆どの時間を列車内で過ごすという素敵なプランが出来上ってしまった。カス!心の中で軽くそう呟きながら、笑顔でのんびりゆったりハトやのような旅が良いとリクエストするのだ。

正しく強い旅人なら、こんな阿呆な輩はクールに無視を決め込んでお仕舞いなのだろう。だがオレは間違った弱い観光旅行者だ。だから、この愛嬌のある阿呆に自分が痛く無い程度の援助をしようと思う。それは、考えようによっては、駅での暇潰し付き合い代だったり、楽しいおしゃべり代だったり、旅プランプレゼン代だったり、タイムテーブルの読み方指導代だったりするのだと思えなくも無い。こいつから上手く逃げられないイライラを誤魔化してるんじゃ無いよ。旅は何が起こるか分からない。オレもこの阿呆なおっさんのような目に遭わないとも限らない。そうなったらきっと誰かが助けてくれるだろう。きっとね。そんな誰かは、強くて良い人なんだと思う。わしはそんな立派な人では無いが、ラッキーにも日本と言う名の見た目ハッピーな国で生まれ、地球の歪みや歴史の偶然のお陰で、そして、そこに住む、より良くあろうとする大勢の人々の努力によって、大抵の国の人よりはお金を持っている。今やわしの国が惨めな選択を強いられてそのラッキーにしがみついているにせよ、金だけはある。勿論、わしがもっている金に限って言えば、余ってはいない。だが、少しばかり足りないかも知れないが、ちょいと遊んだり、軽く飲んだり、いつもと気分を変えてねぎ塩でタコ焼きを楽しんだりは出来るのさ。わし自身は大した人格者でもなく、素晴らしい特技や技能があるわけじゃなく、目の醒めるようなビジネスモデルを構築したわけでも無いのにだ。なんとなくそんな金を持っているんだよ。だから間抜けなんだか巧妙なのかは知らないが、素直にアンディに同情して、オレの出来る事をしようと思う。そうしたら、この先いつか困って途方に暮れたときに誰かに助けてもらっても、素直にそれを受け取れるだろう。オレはそんなゆるい旅人でいいと思う。おこがましくも、おれ様がタコ焼きのソースのヴァリエーションを余計に楽しむ程度の金を困った人を助ける為に捧げようというのだよ。

のらりくらりと会話を楽しみつつも、適正価格をピコピコと弾き出すのだ。適当な金額を丸めてアンディの掌に押し込んだ。溢れんばかりの笑顔と感謝の言葉。これで良かったんだと思う。オレが列車でこいつの前から消えた瞬間「バァ〜カ!」なんて濁った下を出しながら悪態をついたとしても、いいじゃないか。これで良かったんだよ。おぉ〜ねぎ塩よ〜。

しょぼい部屋に似合わないテレビモニターの案内を見て、そろそろだなと二人で表に出た。2:40。予定より押している。まだ列車は来ないようだ。

無事に帰国したら必ず金を返すからと、何度となく繰り返すアンディ。憎めない男だ。そして必ずパプアニューギニアへ来てくれと、わしのホテルでゴージャスにもてなすからと。

2:40、2:45、3:05と予定よりズルズル遅れた列車が到着したのは3:15。ヤル気満々のアンディが的確にオレの車両を見つけ、一緒に乗り込んでチケットの席番号を探してくれる。すぐに見つかった3段ベッドの上には、ふてぶてしく眠りこける先客が。しかし慌てる事は無い、アンディに任せればいいのだ。オレが言う迄もなく、気持ち良さそうに眠る男を叩き起こすアンディ。何と言う頼もしさだろうか。もし自分独りだったらと思うと、ドォ〜んと気が重くなる。さすがアンディだ。寝ぼけた男と交代するように上に昇り、天井がすぐに迫った狭い空間で寝袋を広げる。アンディに別れと楽しかった礼、そしてお互いの健闘を願いつつサヨナラを言う。こんな時いつも思う、もう二度と会わないのだと。その当たり前が切ない。長かった一日とそんな一期一会に思いを馳せる哀愁の旅人の耳に、胸が張り裂けそうなアンディの最後の一言が突き刺さった。

「頼む、もう20ドルくれないか!」

遠くの何処かの街へと繋がったレールの上を重たい鉄の塊が無理矢理に爆走する。そんな暴力的な力をおろしたての寝袋の中で感じていた。生身の身体では到底かないようの無い大きな力の事を考えながら、いつの間にか眠っていた。

長過ぎた一日に満足した、深い眠りだった。